岐阜地方裁判所大垣支部 昭和41年(わ)3号 判決 1966年9月21日
被告人 乙
主文
被告人を懲役三年以上五年以下に処する。
未決勾留日数中二三〇日を右刑に算入する。
押収してあるあいくち一振(昭和四一年押第二号の一)、さや一本(同号の二)を没収する。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、昭和四〇年三月高等学校卒業後大阪市の大阪自動車鉄工会社へ修理工とし就職したが一ケ月余りで退職し、高知県安芸郡馬路村の父母の許へ帰り、しばらく父の電報配達の手伝をしていたが、同年七月から株式会社大阪砕石工業所の砕石工となり高知県北川村久木の久木営業所で勤務し、同年九月からは肩書住居地の同会社大垣工場に転勤となり、肩書寮に住込んで同工場に勤務していた少年であるが、
第一、同年一二月二四日午後六時頃から養老郡養老町高田三三五番地の一、料理旅館不忘園こと西脇孝子方二階「竹の間」において、同職場の従業員一一名とともに忘年会を行い全員で酒一斗一升位を飲んだのであるが、酒宴が賑やかになつた頃酔余同席の芸妓とダンスを踊つていたところ、酒癖の悪い同僚の砕石工岩崎幸雄(当時三四年)から、「うるさいから静かにしろ」といわれて軽く頭を小突かれたり、「もつと上手に教えてやれ」等と皮肉をいわれ更に座についてからも同人から「お前ら若いもんはもつとのびなければいかん」などとしつこく意見され、同人との間に感情のもつれができたがその場は胸に収めて飲酒を続けていたが、最初は陽気にはしやいでいた被告人は午後九時過には約一升以上の大量の飲酒により相当酩酊し、刺激的な気分に陥るとともに次第に昂じて来た前記岩崎に対する不快の念を押えることができず、前記「竹の間」附近の廊下で同人と口論をなし、取組合いの喧嘩となつたが、憤激のあまり突嗟に日頃隠し持つていた刃渡り一四糎のあいくち一振(昭和四一年押第二号の一)を取り出し、それで同人の腹部を突き刺せば同人を死に至すかも知れないことを予見しながら、あえて同人の腹部、左頸部、左上眼瞼部等に突き刺しあるいは切りつけ、よつて同日午後一一時三五分頃同町押越高田病院において右腹部の門脈に達する刺切創による出血多量のため同人を死亡するに至らせ
第二、同日時場所において、右事態を目撃した同僚の葭谷敏敦(当三四年)が、被告人を制止しようとしたところ、それに憤慨し、右あいくちをもつて同人の左大腿部に一回切りつけ、よつて同人に対し治療約四〇日を要する左大腿基部切創の傷害を負わせ、
第三、法定の除外事由がないのにもかかわらず、同年五月頃から同年一二月二四日までの間刃渡り一四糎のあいくち一振(昭和四一年押第二号の一)を肩書住居地等に隠匿所持し、
たものであるが、被告人は判示第一、第二の犯行当時飲酒酩酊のため心神耗弱の状態にあつたものである。
(証拠の標目)<省略>
(法令の適用)
被告人の判示所為のうち、判示第一の殺人の点は刑法一九九条に、判示第二の傷害の点は刑法二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号に、判示第三の銃砲刀剣類所持等取締法違反の点は同法三一条の三・一号、三条一項に各該当するところ、判示第一の罪につき所定刑中有期懲役刑を、判示第二、第三の各罪につき所定刑中いずれも懲役刑を選択し、なお判示第一、第二の犯行当時被告人は心神耗弱の状態にあつたから刑法三九条二項、六八条三号により法律上の減軽をし、以上の各罪は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により重い判示第一の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で処断するのであるが、被告人は、少年法二条一項の少年であるから、同法五二条一項により被告人を懲役三年以上五年以下に処し、刑法二一条により未決勾留日数中二三〇日を右刑に算入し、押入してあるあいくち一振(昭和四一年押第二号の一)は判示第三の犯罪行為を組成した物で、さや一本(同号の二)はその従物であつて犯人以外の者に属しないから、同法一九条一項一号、二項によりこれを没収し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項但書により被告人に負担させないこととする。
(弁護人の主張に対する判断並びに心神耗弱の認定)
弁護人は、被告人は本件第一、第二の犯行当時病的酩酊による心神喪失の状態にあつたもので、被告人には刑事責任能力がなく右の各犯行については無罪であると主張する。鑑定人杉本直人の鑑定書の鑑定結果によれば、「本犯行前の被告人の精神状態は、精神病は発病していなかつたが、刺激的爆発的傾向、意志薄弱を特徴とする精神病質といえる人格である。本犯行当時は飲酒による病的酩酊の状態にあつて、刺激的爆発的傾向が明らかになり、また強調され、平常の人格は全く変化し病的になつており、行為は短絡反応的に刺激に直結し、衝動的あるいは本能的に反応が起り、刺激と反応との間に何等反省、判断の入る余地はない。」旨の記載があり、右弁護人の主張にそう鑑定がなされているが、この鑑定の結果の是非について判断することにする。
本鑑定書が被告人の本犯行当時の精神障害の程度を判断する決定的な理由は、被告人がその当時病的酩酊の状態にあつたということであるから、なによりもまずこの点を検討しなければならない。
本鑑定書および証人杉本直人の当公判廷における供述によると病的酩酊の判定基準として、「(一)意識状態の変化(人格変化)の程度が、酩酊状態の進行中に突然強く出現する。(二)精神状態が不安定である。従つて、不安にかり立てられ猜疑的被害的な考えに捉えられることが多いため他人の言動にからみ、言いがかりをつけ暴行に及ぶことが多い。(三)平常の人格が病的素質特にてんかん性素質であることに関係がある。(四)多くは熟眠をもつて終結し、後に完全な健忘を残すのを常とする。」をあげ、とりわけ(一)と(四)の特徴を強調している。そして、水鑑定書では、右の判定基準に従つて被告人の諸特徴および被告人に対する飲酒試験の結果等を診断して、被告人が本犯行当時病的酩酊の状態にあつたと鑑定しているのであるが、その根拠としては、本鑑定書同補足書および証人杉本の当公判廷における供述によると、(1) 被告人は、意志薄弱、刺激的(粗暴)であることを特徴とする精神病質者(性格異常者)であること。(2) 被告人はこれまでにも多量に飲酒すると病的酩酊状態を示したこと、ことに高校二年生のとき友達の結婚式に招待され飲酒酩酊して花婿と喧嘩し殴つたが、事後全くそのことについての記憶がなかつたことがあつた。(3) 飲酒テストの結果病的酩酊の諸特徴を示したこと、即ち飲酒開始後一時間三五分六合目の酒を飲み終り、間もなくの頃から熟眠後目を醒ますまでの間について完全な記憶の欠損(健忘)があり、この健忘期間中突然看守を殴る等の衝動的行為や攻撃的言動を伴う精神運動性の興奮状態を示した。そして本件犯行時の酩酊状態の経過は飲酒テスト時のそれと非常によく似ている。(4) 犯行当夜多量に飲酒し、最初は陽気にダンスをしたりしていたが、岩崎との間に感情的なもつれができ、午後九時前後には他の宴席へふらりと行つて脅迫的言辞を弄し、あいくちを示すようなことがあつたかと思うと突然態度を変じて謝罪したりしており、この頃から完全に人格の変化(意識状態の変化)を来し、刺激的に感情状態や思考過程をはじめ人格に統一がなくなつていると考えられること。(5) 犯行当夜朗らかになり、くどくど言い始めてから後の出来事については、ところどころの記憶しか残つておらず、本件殺人、傷害行為については完全な健忘を残していること。等が挙げられている。そこで本件各証拠にもとずいて検討するに(1) については、少年調査記録中の鑑別結果通知書にも情性欠如性、破壊的、攻撃的な衝動性を有する精神病質者と認定されているが、本件各証拠によると被告人はそのような傾向を有するも、社会生活を営む上においては深酒をした時以外はさして通常人とは変ることなく対人関係も円満であり、当時平穏な社会生活を送つていたことが認められるので、いわゆる変質者といわれるほど精神病質の程度は高度のものとは思われない。(2) の暴行後記憶を全く喪失した過去の経験については、前掲の被告人の当公判廷における供述等によつて認められるけれども、被告人は本件事件を犯すまでに、しばしば大酒しているが過去に酩酊時粗暴行動に出て睡眠後全く記憶を喪失した経験を有するのはそのとき一回あるだけで、それも、最高に飲酒したときの出来事であつて直ちにそれが病的酩酊状態であつたと認定するには十分でない。(3) については飲酒テストの経過が鑑定書、同補足書記載のとおりであるとしても重大事件を犯した後の長期間の勾留中に行われたテストであつて、アルコールに対する耐性が低下していることを考慮に入れるべきであろう。そして右テストによると被告人は飲酒初期には発揚状態があり飲酒の量と時間に応じて漸次酩酊の度を増し、飲酒量が六合程度に達するまでの酩酊の型は普通の飲酒家と異なるところなく、六合以上に達するに及びかなり急速に精神運動性の興奮状態と完全な健忘を残す状態に陥つたという点が異型を示すというのであるが、この程度の異常は普通酩酊の泥酔期(第三期)にも見られるのではないかと思われる。そして(4) の被告人の行動については、本件諸証拠なかんずく木村政明および稲川晶利の司法巡査に対する各供述調書によると、当初は判示のように陽気にはしやいでいた被告人も午後九時前後になると、次第に不気嫌になつてゆき下を向いてボソボソ話していたり、前後二回他の宴席へ入つて行つて、ブツブツ一人言をいつたり、あいくちを出して見せる等脅迫的な言動をしたことが認められるから、その頃から本件犯行にかけての被告人の意識状態には或る程度酩酊による障礙を来たしていたものと認められるが、運動、言語能力にはさしたる顕著な異常は認められず、隣室の宴席の者が県事務所の職員だと知つて謝つている点や、事件直後現場に到着した警察官から「けんかをしたのは君か」と尋ねられたのに対し、「そうだ」と答えて両手首を組んで前に差し出している点(現行犯人逮捕手続書)などに照すと判断能力の正常性が或程度残存していることが認められる。(5) については、被告人の当公判廷における供述によると芸妓とダンスを踊つたこと、踊つている時岩崎に頭をゴツンとやられ「うるさいから静かにしろ」というように言われたこと、その後岩崎から「若い者はのびにやいかん」と意見されたこと、岩崎が姉さんといわれていた芸妓に「自分は人を殺して刑務所に入つて来たことがある」といい自分も人を傷害して取調を受けたことがあると言つたことの記憶があり、事件の状況については何かを刺したようなグニヤとした手ごたえがあつたこと、岩崎が壁か唐紙の前で目の下附近から血を出して恐しい顔をしていたこと、等をぼんやりとではあるが記憶していることが認められ、事件当時の状況について甚しい健忘を残していることは認められるとしても、本鑑定書が特に強調するような殺人、傷害行為について完全な健忘を残しているということはできない。以上のようにみてくると、杉本鑑定人の基準によるも果して被告人の右犯行当時の酩酊が病的酩酊といえるか疑わしいのであるが、(なお通常病的酩酊を生じやすい素質として、てんかん性素質があげられているが右鑑定によると被告人には右の素質は認められないとしているし、平素極めて大量に飲酒した場合を除いては普通の酔い方であり、健忘を残すこともなく、酒癖が悪いというのでもない。幻覚、妄想的思考は右犯行時も以前にも認められない。)いわゆる病的酩酊の概念及びその認定基準については諸説あるも、当裁判所は、刑法上心神喪失とみられるべき病的酩酊と普通酩酊とを区別するには以上の考察のほかに、行為動機が了解不能のものであるか否か、当該行為と人格との結びつきが全く断絶したものであるか否かが重要な一基準をなすものと考えるので、被告人の右犯行について了解可能な動機がないかどうかについて考察することにする。以上認定した事実によると、被告人は酔余陽気に芸妓と踊つている時に岩崎から頭を小突かれて罵られたり皮肉をいわれたり、その後も同人からくどくどと意見されたりしたので同人に対しては相当強い不快感情を持続していだいていて飲酒を続けていたものとみられ、(岩崎が相当荒れていて、宴会の終り頃にはかなり険悪なふんい気であつたと、同席した芸妓たちは述べている。)被告人は大量の飲酒に及ぶと不機嫌となり、刺激的、攻撃的になる傾向を有するところから大量の飲酒をするに及び不快の念を押えることが出来ず、かえつてこれが昂じ、敗けず嫌いの気質も手伝つて、口論の上取組合いの喧嘩となりその際憤激のあまり持つて来たあいくちで岩崎の腹部を刺すに至つたその動機は被告人が当時相当酩酊していたことを考慮に入れるとき、了解することができるところであり、また、被告人が葭谷に切りつけた行為についても、同人にとめられて岩崎を攻撃することを妨げられたのであるから、攻撃の余勢で同人に切りつけるに至つたことも了解できる。従つて被告人の右犯行には、了解可能な動機があるといわなければならないし、被告人は過去に傷害罪を犯し家庭裁判所で審判不開始となつたことがあり平素潜在的であるにしろ破壊的、攻撃的な衝動性、情性欠如性の傾向を有し、本宴席にも、あいくちを懐中にしのばせて出席している点などに徴しても右犯行とその人格との間に全くつながりがないものとはいえない。
以上検討を加えた各点を綜合すると、被告人は右犯行当時相当深い酩酊状態にあつたことは認められるがいわゆる病的酩酊にあつたものとは認められず(被告人が右犯行当時病的酩酊の状態にあつたとする本鑑定の結果は採用することができない。)、すでに述べたように、被告人は酒癖の悪い岩崎から叱責されたり意見されたりして不快感情を抱きながら大量に飲酒したことによつて相当深い酩酊状態に陥り興奮しやすく、刺激性が著しくなり自制機能の減弱化した精神状態のもとで昂じてきた岩崎に対する不快感情が口論を惹起し、そのあげく爆発的に右犯行に及んだもので、当時是非を弁別する能力および是非の弁別に従つて行動する能力を著しく欠いていたと認められるけれども、その能力を失つていたとまでは認められない。従つて、被告人が右犯行当時心神喪失の状態にあつたとする弁護人の主張は採用することができないが判示の如く心神耗弱の状態にあつたものと認定した次第である。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判官 水谷富茂人 牧田静二 北沢貞男)